Vol. 27 ジョージ・フレデリック・クンツ(1858-1932)
ピンク色が美しい宝石「クンツァイト」は彼にちなんで名づけられました
ニューヨーク育ちのクンツは多くの鉱物を収集していました。1879年には宝石試験の熟練が認められティファニーに就職し、1907年から亡くなるまで副社長を務めました。クンツは新しい宝石の鉱山を発見するよう奨励してきました。クンツはティファニーの商品にするために、また、裕福な宝石コレクターのために、宝石を捜して広く旅行しました。
クンツはアメリカ政府のためにも働きました。1883年~1909年には、米国地学調査のために宝石担当の特別エージェントを務めました。1900年には米国国勢調査の中の宝石に関するデータ収集を監督しました。
クンツは1889年のパリ万博でアメリカの鉱物展示とティファニー宝石コレクションの双方を担当し、ティファニーコレクションで金メダルを、北米の真珠に関する論文で銀メダルを、その他の論文で特別賞を受賞。弱冠33歳での快挙でした。その後、米国水産委員会のために真珠を調査し、数回の国際博覧会で米国鉱山省の代表を務めました。
報道関係者の間ではクンツはジュエリーと宝石に関するファッションやコレクション、ノベルティーの権威として知れ渡っていました。有名になったのはニューヨーク市の公園保護運動や野生動物や歴史記念物保護の活動でです。
宝石はやはり彼の最大の興味対象で、アメリカ、メキシコ、ヨーロッパ中の鉱山や鉱物コレクションを訪ねてまわりました。カリフォルニアのサンディエゴへの旅行中にスポジュミンという鉱物のピンクの変種を発見し、その後、彼の功績を称えて「クンツァイト」と名づけられました。