Vol. 37 ヘンリー8世(1491-1547)
英国でも屈指の教師たちに教育されたヘンリー8世は学識が深く英国王室史上最高のインテリといわれています。色白で、知的、強壮、長身の君主は臣民の上にそびえたつような存在でした。複数の言語を理解し、詩をたしなみ、音楽にも造詣が深く、馬術、剣術などのスポーツにも優れた才能を発揮しました。
ヘンリーの統治は1509年から1547年。初期には人気がありましたが、彼のイメージは絶対王政、政治的陰謀、6人の王妃などにより次第に色あせていきました。彼の離婚願望はローマカトリック教会と決裂するための言い訳でした。ヘンリーは貴族階級の権力を減らすことで王の権力を強めました。
教会との決裂後、彼は僧院や大寺院の宝物を没収しました。ヘンリーのジュエリーの趣味は彼のエゴが反映されていました。真珠には特別な情熱をもっており、たくさんの真珠をローブ、コート、帽子、靴などに縫い付けていました。また、妻たちやお気に入りの臣下たちに与えていました。金と真珠のイヤリングに対する彼の好みは王国内の裕福な男性たちの間で流行しました。
晩年にはヘンリーの健康状態は次第に悪化し、病気で不幸のうちに死亡しましたが、彼は最後まで自分自身のことを献身的な君主と信じて疑いませんでした。