Vol. 43 ジーン・ムーア(1910-1998)
世界一と言われたティファニーのディスプレイ・デザイナー
ジーン・ムーアはシカゴ芸術大学で絵画を学んでいましたが、世界恐慌の影響で働かなくてはならなくなりました。彼は花屋で働き始めましたが、そこで彼のアレンジメントがウィンドウ・デザイナーのジム・バックレーの目に留まります。バックレーがI.ミラーズ靴店のディスプレイ・マネージャーになったとき、ムーアをアシスタントに抜擢します。
ムーアはI.ミラーズの後に、バーグドルフ・グッドマン、ボンウィット・テラーへと活躍の場を移ります。1955年にティファニー会長のウォルター・ホーヴィングから店のウィンドウ・ディスプレイを任せたいと雇われました。 そのときホーヴィングが言ったのは「君が美しいと思うものだけをデザインすればいい。売れるようにとは考えることはまったく無い。それは僕たちがすることだよ。」
ムーアのジュエリー・ウィンドウ・ディスプレイ理論はシンプルなものでした。「はじめにするべきことは人の足を止めることだ。ウィンドウを高額なジュエリーでいっぱいに飾ることでわくわくするような気持ちにさせることはできない。見る人におもしろいと思わせなくてはならない。」
ムーアのディスプレイはニューヨークのなかでも最も人が足を止めるものでした。彼はしばしば調和しないと思われる2つのものを混在させました。例えば、スパゲッティにダイヤモンドのジュエリーをくくりつけるなどです。彼のデザインの代表的なものはとてもシンプルなもので、例えば大きな氷(プラスティック)にダイヤモンドを挟んでいるトングを立てかけてあるといったようなものです。
ムーアは、ポール・テイラー舞踏団の衣装デザインも担当しており、いつかは映画制作もしてみたいと話していました。彼が信じていたのは「仕事を楽しいと思ってやらなければ、良いものはできない。」ということでした。