Vol. 53 ファルーク王(1920-1965)
この時代では最も偉大なるダイヤモンドのコレクターであったエジプトのファルーク王は、贅沢を愛した浪費家で、政治に対する怠慢でエジプトの君主制を失墜させました。1940年代から50年代には「ファルーク王のように金持ち」という諺があったほどで、これは富をひけらかすという意味でした。
ファルークは1920年にアーメッド・フアド国王の息子としてカイロに生まれました。熱心なイスラム教徒で、英語、フランス語、アラビア語を教えるイギリス人家庭教師によって隔絶された環境で育てられました。
聡明な子供だったファルークは14歳のときには既に「ベテランの重み」をもって儀式上の任務をこなすようになっていました。15歳のときにイギリスに留学しましたが、彼の礼儀作法、知性、スポーツの才能に、イギリスのジャーナリストたちは「世界中で最も完璧に育てられた男の子」と称したそうです。
ファルークの父は第二次世界大戦勃発直前に亡くなり、17歳の息子に王位と5千万ドルの財産を残しました。ファルークは模範的な王として活動し始めましたが、美しいものへの執着が大きくなるにつれて政治活動への欲求は次第に減少していきました。
彼の買ったものの中で最も変わったものは1906年製の金にダイヤモンドのファベルジェの卵です。ハリー・ウィンストンは彼に100万ドルで125カラットのエメラルドカットのダイヤモンド(ジョンカーダイヤモンドからカットされた一番大きなダイヤモンド)を売りました。また、ファルークは彼の2番目の妻に70万ドルのエメラルドと110万ドルのダイヤモンドをウィンストンから買いました。彼のコレクションには26カラットの「スター・オブ・エステ」もありました。
ファルークは王としての公務を怠り、政府に堕落が浸透するのを許したことで批判されました。1952年、軍のクーデターにより王位を剥奪されました。彼は財産としては金の延べ棒を携えてカプリ島に逃亡しました。ファルークはエジプトに戻れる日を待っていましたが、1965年にモナコで亡くなりました。享年45歳でした。