Vol. 55 エドアルド・カミーユ・フーシュ(1889-1961)
最高の模造真珠といわれる「マヨルカパール」の開発者
エドアルド・カミーユ・フーシュは、初めて模造真珠を工業的に生産した彼の父親、エドアルド・ヒューゴ・フーシュから「完璧な」模造真珠への夢を相続しました。彼の父は1890年頃にパリでこの仕事を始めました。第一次世界大戦中にビジネスは繁盛し、1920年に工場を現在の所在地であるマヨルカ島に移しました。
マナコール社の模造真珠は広く世界中の市場で受け入れられましたが、完璧というには程遠いものでした。父親は亡くなったときに社長であった息子にその夢を託しました。
第二次世界大戦中、ほとんどの国が模造真珠の製造を中止していました。これによりマナコール社は市場を独占するかたちとなり、需要は供給を遙かに超えていました。しかし、戦後になると日本製の安価な大量生産品が世界中の市場に出まわりました。これらはせいぜい金属質か真珠母貝のコーティングを施した銀のビーズに似たものでした。これによりフーシュは、より天然の真珠に近く、より良い模造真珠を創り出すことに集中するようになりました。
その後、多くの時間、努力、資金を費やし、1952年にフーシュと仲間の科学者たちはとうとう成功を収めました。彼らの生み出した製法は、魚の鱗から抽出した「天然パールエッセンス」と名づけた物質をビーズに幾層にも覆い、真珠のような外観を作り上げるものです。
今日では「マヨルカパール」は最高の模造真珠と言われています。高品質の天然真珠に「てり」が非常に似通っているからです。この「てり」は褪せることがなく、色も変化することがありません。香水、湿気、温度の変化にも耐久性があります。フーシュは彼の父親の夢を実現したといっても良いでしょう。ジュエリーの世界はこのことをもちろん認めているのですから。